岡崎 卓也

何をやるか、より、誰とやるか

タガヤスのメンバーの中では、私より年上の貴重な“兄貴”である。

岡崎卓也さんは兵庫県西宮市に生まれ、大阪にある大学を卒業し、リクルートに入社した。

当初は求人情報の広告営業を担当していたが、住宅情報の電子化という大きな波が押し寄せる中、彼はその手腕を買われ、法人営業に配属された。

この波は、情報を掲載する側の出版業界(当時)、掲載を依頼する不動産業界を巻き込み、さらに大きな荒波となっていった。その後、彼は、当時のリクルート住宅総研の所長に就任する。そこでも、この荒波を満身創痍で戦い抜いた。

50歳で退職後、「本当に苦しかった」と打ち明けてくれた時の顔が忘れられない。

彼は独立を機に、「残りの人生、思うようにやってみよう」と決意する。大学で学んだことを実践しようと、特定非営利活動法人国境なき医師団で働いた。また、大学までバスケットボールのプレイヤーだった彼は、その後、BJリーグにも誘われた。BJリーグは、現在のプロバスケットボールBリーグの前身組織で、プロリーグ化に向けて力を注いでいたのである。

しかしながら、、やはり不動産業界は彼を求めていた。

中小宅建業者の全国組織である公益社団法人全国宅地建物取引業連合会(通称、全宅連)という団体がある。その中に「不動産総合研究所」というインハウスの研究所がつくられ、彼はそこに引き抜かれたのである。私はコンサルタントとして彼とともに全宅連のビジョン作成に取り組んだ。業界団体が自らの社会的存在意義と、会員各社の進むべき方向性について大きなビジョンをつくろうとするものであり、当時としては画期的であった。

彼はその後、ビジョンの実現に向け、全国の中小宅建業者の方々とひたすら会い、様々な取り組みを精力的に取材し続けた。

「それまで仕事上でお付き合いがあった不動産会社は、主に大手でした。この取材を機に、会社規模に関係なく、魅力的な活動に取り組む方々に出会う機会が増えました」

と彼は言う。

そのたくさんの出会いが彼を動かし、全国各地の不動産会社の画期的な活動を紹介する「RENOVATION」の発刊につながっていく。

彼と今後のタガヤスについて話をしていた時のことである。

「これまでは民間の視点で不動産業界を見ていました。不動産業界がなんらかの社会課題を解決していけると思っていたし、それをバックアップしたいと考えていました。しかし、同時に限界も感じていた。そこに公共性を持った行政側からの視点を加えていけば、また可能性が広がると思います。タガヤスでは、それに取り組みたい」

また、こうも語った。

「たくさんの方々とお会いして、たくさんの感動をいただきました。そこで、何をやるか、よりも、誰とやるかが本当に大切なんだと」

それに対して私はこう答えた。

「私はあなたと仕事がしたい」と。

彼がタガヤスに参画したのは、必然だと感じている。